ゼリーがキラキラしているので天皇制(てんのうせい)は滅(ほろ)ぼせます

日本(にっぽん)加害(かがい)()うことなく被害(ひがい)ばかりを議論(ぎろん)する集会(しゅうかい)、「元号(げんごう)」の()()集会(しゅうかい)(れつ)(みだ)さず(ある)速度(そくど)一定(いってい)(もと)められるデモ、警察(けいさつ)抗議(こうぎ)するとそのことを(とが)められるデモ、一度(いちど)二度(にど)ではない、そんな集会(しゅうかい)ともデモとも()(がた)いところを彷徨(さまよ)い、何度(なんど)となく()んだが、そこを()場所(ばしょ)にするにはつらすぎる。わたしは絶望(ぜつぼう)(のろ)いを()きずってひとり、大好(だいす)きなゼリーを(なが)めたり、(くち)(ほお)()んだりしながらゼリーが(かがや)(ほう)へゆっくりと()かっていく。

 「即位式(そくいしき)反対集会(はんたいしゅうかい)とデモ。集会(しゅうかい)でのわたしの発言(はつげん)( ゼリー的ななにか - daikonnohana’s blog)はなにひとつ(あたら)しいことは()っていない。いつかどこかで(だれ)かが(はっ)したり、かき()されたり、()()んだりした言葉(ことば)を、わたしが()りうるありったけの言葉(ことば)を、そこにぶちまけ、なぞって、無数(むすう)先人(せんじん)たちに(つら)なって(あゆ)んでいこうとおもった。
発言(はつげん)するわたしの背中(せなか)()してくれたのは(とお)くのなかまだった。心強(こころづよ)かった。ほんとにありがとう。
発言(はつげん)しても()なない場所(ばしょ)。10.22、わたしはそこに()っていた。
  暴力(ぼうりょく)でしか()()っていない天皇(てんのうせい)は、ナルヒトの「即位式(そくいしき)とその()のパーティーをするために、またもや暴力(ぼうりょく)発動(はつどう)し、デモの(れつ)(なか)から3 (にん)()()った。
なかまを()()られたショックは(おお)きい。(くや)しくて
(くや)しくて(くや)しくて()いちゃいそうだった。うそ。()いた。
警察署前(けいさつしょまえ)での抗議行動(こうぎこうどう)(あと)ツイッター(ひら)くと、たくさんのひとたちがあらゆる場合(ばしょ)から抗議(こうぎ)をしてくれていたことが()てとれた。すごい!もっかい()いた。あの()のデモは、わたしがおもってるよりもずっとずっと(おお)きく(ひろ)(ふか)いデモだった。天皇(てんのうせい)廃絶(はいぜつ)(ちか)いとおもった。
 裁判所前(さいばんしょまえ)での「なかまをかえせ(まつ)り」と裁判所(さいばんしょ)(なか)での(たたか)い。ギラリと(ひか)るとてつもなく(するど)い『蜂起(ほうき)』。10.30わたしはそこで天皇(てんのうせい)()瞬間(しゅんかん)(たし)かに()ていた。(たし)かに。
 大嘗祭反対(だいじょうさいはんたい)ナイトイベントでは、いよいよ()(なら)ぶビルを()えた。東京駅(とうきょうえき)()えた。(さえぎ)るものは機動隊(きどうたい)。ほんと邪魔(じゃま)。その(さき)にやつらが占有(せんゆう)している東京千代田(とうきょうちよだ)1-1のだだっ(ぴろ)土地(とち)はある。
わたしは集会前(しゅうかいまえ)皇居(こうきょ)半周(はんしゅう)まわった。検問(けんもん)してたり、(まえ)(ある)いた(とき)よりもたくさんの警察官(けいさつかん)がいて、警棒(けいぼう)はわざわざ()()っていた。とてもこわかった。
ちょうど半周(はんしゅう)()わる「皇居前広場(こうきょまえひろば)」のあたりで「天皇(てんのうせい)はいらないよ」と(うた)うなかまたちの(こえ)をきいていた。遅刻(ちこく)ともいう。
ナルヒトよ、たたかうものの(うた)()こえたか。
合流(ごうりゅう)した(さき)ではミラーボールがキラキラしていて、わたしは()っていたゼリーを()らした。ゼリーはそのままでもキラキラしているものだが、キラキラの(ひかり)()らされたゼリーはさらにキラキラと(ひかり)(はな)つ。(はな)たれた(ひかり)(さき)に、その(さき)に、いずれ合流(ごうりゅう)するであろうなかまたちを(おも)っていた11.4。
 ナルヒトの誕生日(たんじょうび)には討論集会(とうろんしゅうかい)(ひら)かれた。ひとりひとりみんな(ちが)う、それぞれの天皇(てんのうせい)への抵抗(ていこう)があちこちでいっぱい()(りろ)げられているということがよくわかった集会(しゅうかい)だったとおもう。それぞれの反天皇制(はんてんのうせい)()って(あつ)まって、またそれぞれのたたかいに()かっていく。
わたしは()っていたゼリーをそこで出会(であ)ったなかまと交換(こうかん)した。ありがとー。
もらったゼリーを(くち)(なか)(ほお)()んでまたひとり、ゼリーが(かがや)(ほう)目指(めざ)す。
()(まる)()やす(まつ)りの予定(よてい)がある。
めげてしょぼくれて絶望(ぜつぼう)()ちひしがれながらも、(たたか)いはここから(たたか)いは(いま)から。(とも)に。

ぼちぼちできあがるかな?おわてんねっと総括(そうかつ)パンフレット掲載
2016→2020「代替わり」反対行動の記録 『終わりにしよう天皇制』 – 終わりにしよう天皇制!「代替り」に反対するネットワーク

zine(じん)を作(つく)りました その2

2 冊目(さつめ)zine(じん) です。
タイトルはHurry up! Curry up!(はりーあっぷ かりーあっぷ) 〜カレーのカは革命(かくめい) のカ〜です

10 ()()をおさめました。
これは表紙(ひょうし)裏表紙(うらびょうし) ()わせてて6 (まい)両面印刷(りょうめんいんさつ)にして3 (まい)です。
画像(がぞう)がわかりにくくなってしまうかもしれませんがモノクロ印刷(いんさつ)でもだいじょぶです。
A4 両面印刷(りょうめんいんさつ)でまんなかで()ると冊子(さっし)ができます。
リンクは下記に貼っておきます。よろしかったらどうぞ。


Hurry up! Curry up! 1 - Google ドライブ

zine(じん)を作(つく)りました その1

はんにちわ〜

Are you ready? Are you jelly? (あーゆーれでぃ?あーゆーぜりー?) 〜ゼリーのゼはゼネストのゼ〜
というタイトルでzine(じん)(つく)りました。
グーグルドライブにてデータ公開(こうかい)しますので、保存(ほぞん)したり、プリントしたりしてみてください。

このzine(じん) は2018 (ねん)から2019 (ねん)にかけてのアキヒトからナルヒトへの天皇(てんのう)代替(だいが)わり」に(さい)して集中的(しゅうちゅうてき)活動(かつどう)した"おわてんねっと"主催(しゅさい)集会(しゅうかい)でのわたしの発言原稿(はつげんげんこう)や、予定(よてい)では4 (がつ)にできるはずで、まだできていない(そろそろできるか?)おわてんねっと総括(そうかつ)パンフ"に()せていただくことになっている作文(さくぶん)(ふく)(ぜん) 5つ(いつつ)作文(さくぶん)が26ページ、それに表紙(ひょうし)裏表紙(うらびょうし)()き、(かみ)にすると14 (まい)両面印刷(りょうめんいんさつ)で7 (まい)になります。
A4両面印刷(りょうめんいんさつ)(かさ)ねて()(なか)()ってください。
もしよかったら、下記(かき)からどうぞ。

Are you ready? Are you jelly? ① - Google ドライブ

ぜりー てき な なにか

(かんじ お つかって いない ばーじょん)

 

し の 5ふんかん しゃべりきり ちゃれんじ げんこう

 

しきてん で ひのまる・きみがよ に ふきりつ したり うたわなかったり する ときも、どれいばんごう(いわゆる まいなんばー)の ていしゅつ お こばむ ときも、 てんのうせい に はんたい する ときも いちいち りゆう お のべなきゃ ならない こと に いらいら するし おもう よう に つたわらない し どうやって つたえれば いいのか かんがえてる うち に じかん ばかり が すぎて いって あっというま に 150ねん ぐらい たって しまって じょうきょう わ どんどん わるく なるし ぶんだん わ すすんで どんどん ころされてく し こっち が せつめい しなきゃ いけない こと ばっかり ふえて ほんと だるい し つかれる し はらたったり あせったり ぜつぼう する ばっかで ぜんぜん まにあい ません。

 

「ていねい」に「わかりやすく」「りょうしん(良心) に うったえる ように」「いえる」ほう が いいのかも しれないけど その「ていねいさ」も「わかりやすさ」も「りょうしん え の うったえ かた も「いいかた」も その「ひょうじゅん」わ 「ただしい にほんご 」だったり「おとこ の つごう」だったり するし けっきょく 「おてほん」わ てんのう で さべつ で しかない し そうやって いかり や ぜつぼう お かいしゅう される こと に うんざり しています。

 

ひのまる・きみがよ に たって うたう こと、またわ なんとも おもわない こと、 てんのう いいひと って おもう こと またわ なんとも おもわない こと、 「てんのう の じんけん」に おもい お はせ まくったり する こと なんか わ みあきた し ききあき ました。

それと はんさべつ の つもり で いてもじょせい べっし や ちょうせん お はじめ と する あじあ べっし お すてきれて ない ふるまい にも うんざり です。

てんのうせい が どれだけ の ひと の そんげん お ふみ にじって いのち お うばってん のか お かんがえて ほしい し いいかげん だまって そっち で かんがえて あらためて よ って おもいます。

 

けいけん の ある かた も おおい と おもいます が はんてんのうせい お かかげて いる と よく「いや なら にっぽん から でて いけ」と いわれる こと が あります 

どこ に いて も いなくて も てんのうせい わ そく はいぜつ しか ない の ですが。

そこで「にっぽん こそ わたし から でていけ」と いった ひと が いて 

ほんと それ!

 

てんのうせい なんて さべつ しか つくって いません。

ぬぐい きれない しんりゃく の ち に まみれてる くそ みたいな この にっぽん の しゃかい で いきて たら じぶん の みの まわり お ちょっと みわたせ ば どこ も かしこ も てんのうせい に まつわる わるさ ばかり です。

 

しぶんじしん が かんじる いきずらさ いきぐるしさ また わ きもち の よさ わ いったい どこ から くる もの なのか。

たどって いけば わりと すぐ に てんのうせい・かふちょうせい・しほんしゅぎ・まったく はんせい できて ない しんりゃく や しょくみんち しはい に たどり ついたり します。

 

もういちど いいましょう「にっぽん こそ わたし から でて いけ」

 

わたし わ けいぞく して だれか と いっしょ に なにか お できる だけ の きりょく も たいりょく も こんき も ないし じしん お もって れんたい と いえる ほど の なにか も もちあわせ て いない し なかよく も できません。

わたし わ わたし の いる ばしょ で つね に じぶんじしん お みつめ なおし て できる かぎり の「やらない」や「やめて いく」と いう こと お やって いきたい と おもい ます。

「たたない」「うたわない」「ありがた がらない」「いわわない」「しゃべらない」でも「だまらない」「なかよく しない」「つがわない」「ひのまる わ かかげ ない」むしろ もやす。

 

きょう の この よう な ば お つくり あげる こと が できる ひと たち ひごろ から ぜんこく かくち で はん てんのうせい、  はん さべつ の うんどう に とりくんで いる ひと たち わ ほんと すごい と おもい ます。 

そこ から まなぶ こと わ たくさん あります。 そんけい し つつ かって に ひけめ みたいな もの も かんじて しまう こと も あります。 

いま ここ で こうして しゃべって いる じぶんじしん に きもち わるさ お かんじたり も して います。 でも じしん  が なくて も わるく ない。 とくべつ に なにか お やれなくて も わるく ない。

いきどおり と ぜつぼう と のろい もって ここ に つらなり てんのう お ひきずり おろす べく のー お しめし て いきたい と おもいます。

 

てんのうせい わ そく はいぜつ!

いそぎ ます。

 


2019.10.22 しんばし

 

 

げんこう お ちぇっく して くださった ゆいいつ の あなた

ほんとう に ありがとう!

ゼリー的ななにか

死の5分間しゃべりきりチャレンジ原稿

 

式典で日の丸・君が代に不起立したり歌わなかったりするときも、奴隷番号(いわゆるマイナンバー)の提出を拒むときも、天皇制に反対するときも、いちいち理由を述べなきゃならないことにイライラするし、おもうように伝わらないし、どうやって伝えればいいのか考えてるうちに時間ばかりが過ぎていって、あっというまに150年ぐらい経ってしまって、状況はどんどん悪くなるし、分断は進んで、どんどん殺されてくし、こっちが説明しなきゃいけないことばっかり増えてほんとダルいし疲れるし、腹立ったり焦ったり絶望するばっかで、ぜんぜん間に合いません。

 

「丁寧に」「わかりやすく」「良心に訴えるように」「言える」ほうがいいのかもしれないけど、その「丁寧さ」も「わかりやすさ」も「良心への訴えかた」も「言い方」もその「標準」は「正しい日本語」だったり「おとこの都合」だったりするし、結局「お手本」は天皇で、差別でしかないし、そうやって怒りや絶望を回収されることにうんざりしています。

 

日の丸・君が代に立って歌うこと、または なんともおもわないこと、天皇いいひとっておもうこと、または なんともおもわないこと、「天皇の人権」におもいをはせまくったりすることなんかは見飽きたし聴き飽きました。

それと、反差別のつもりでいても女性蔑視 や朝鮮をはじめとするアジア蔑視を捨てきれてない振る舞いにもうんざりです。

天皇制がどれだけのひとの尊厳を踏みにじって、命を奪ってんのかを考えてほしいし、いいかげん だまって。そっちで考えて改めてよ。っておもいます。

 

経験のあるかたも多いとおもいますが、反天皇制を掲げているとよく「嫌なら日本から出ていけ」と言われることがあります。どこにいてもいなくても天皇制は即廃絶しかないのですが。

そこで「日本こそ私から出ていけ」と言ったひとがいて、ほんとそれ!

 

天皇制なんて差別しかつくっていません。ぬぐいきれない侵略の血にまみれてる くそみたいな この日本の社会で生きてたら、じぶんの身の回りをちょっと見渡せばどこもかしこも天皇制にまつわる悪さばかりです。

 

自分自身が感じる生きづらさ、息苦しさ、または気持ちの良さはいったいどこからくるものなのか。たどって行けばわりとすぐに天皇制・家父長制・資本主義・まったく反省できてない侵略や植民地支配に辿り着いたりします。

 

もう一度言いましょう。「日本こそ私から出ていけ」

 

わたしは継続して誰かと一緒になにかをできるだけの気力も体力も根気もないし、自信をもって連帯と言えるほどのなにかも持ち合わせていないし、なかよくもできません。

わたしは わたしのいる場所で、常に自分自身を見つめ直して、できる限りの「やらない」や「やめていく」ということをやっていきたいとおもいます。「立たない」「歌わない」「ありがたがらない」「祝わない」「しゃべらない」でも「黙らない」「なかよくしない」「つがわない」「日の丸は掲げない」むしろ燃やす。

 

今日のこのような場をつくりあげることができるひとたち、日頃から全国各地で反天皇制、反差別の運動に取り組んでいるひとたちはほんとすごいとおもいます。そこから学ぶことはたくさんあります。尊敬しつつ、勝手にひけめみたいなものも感じてしまうこともあります。いま ここで こうして喋っている自分自身に気持ち悪さを感じたりもしています。でも 自信がなくても悪くない。特別になにかをやれなくても悪くない。

憤りと絶望と呪いをもって ここに連なり、天皇をひきずひおろすべく、NOをしめしていきたいとおもいます。

 

天皇制は即廃絶!いそぎます。

 


2019.10.22 新橋

 

 

原稿をチェックしてくださった唯一のあなた

ほんとうにありがとう!