ゼリー的ななにか

死の5分間しゃべりきりチャレンジ原稿

 

式典で日の丸・君が代に不起立したり歌わなかったりするときも、奴隷番号(いわゆるマイナンバー)の提出を拒むときも、天皇制に反対するときも、いちいち理由を述べなきゃならないことにイライラするし、おもうように伝わらないし、どうやって伝えればいいのか考えてるうちに時間ばかりが過ぎていって、あっというまに150年ぐらい経ってしまって、状況はどんどん悪くなるし、分断は進んで、どんどん殺されてくし、こっちが説明しなきゃいけないことばっかり増えてほんとダルいし疲れるし、腹立ったり焦ったり絶望するばっかで、ぜんぜん間に合いません。

 

「丁寧に」「わかりやすく」「良心に訴えるように」「言える」ほうがいいのかもしれないけど、その「丁寧さ」も「わかりやすさ」も「良心への訴えかた」も「言い方」もその「標準」は「正しい日本語」だったり「おとこの都合」だったりするし、結局「お手本」は天皇で、差別でしかないし、そうやって怒りや絶望を回収されることにうんざりしています。

 

日の丸・君が代に立って歌うこと、または なんともおもわないこと、天皇いいひとっておもうこと、または なんともおもわないこと、「天皇の人権」におもいをはせまくったりすることなんかは見飽きたし聴き飽きました。

それと、反差別のつもりでいても女性蔑視 や朝鮮をはじめとするアジア蔑視を捨てきれてない振る舞いにもうんざりです。

天皇制がどれだけのひとの尊厳を踏みにじって、命を奪ってんのかを考えてほしいし、いいかげん だまって。そっちで考えて改めてよ。っておもいます。

 

経験のあるかたも多いとおもいますが、反天皇制を掲げているとよく「嫌なら日本から出ていけ」と言われることがあります。どこにいてもいなくても天皇制は即廃絶しかないのですが。

そこで「日本こそ私から出ていけ」と言ったひとがいて、ほんとそれ!

 

天皇制なんて差別しかつくっていません。ぬぐいきれない侵略の血にまみれてる くそみたいな この日本の社会で生きてたら、じぶんの身の回りをちょっと見渡せばどこもかしこも天皇制にまつわる悪さばかりです。

 

自分自身が感じる生きづらさ、息苦しさ、または気持ちの良さはいったいどこからくるものなのか。たどって行けばわりとすぐに天皇制・家父長制・資本主義・まったく反省できてない侵略や植民地支配に辿り着いたりします。

 

もう一度言いましょう。「日本こそ私から出ていけ」

 

わたしは継続して誰かと一緒になにかをできるだけの気力も体力も根気もないし、自信をもって連帯と言えるほどのなにかも持ち合わせていないし、なかよくもできません。

わたしは わたしのいる場所で、常に自分自身を見つめ直して、できる限りの「やらない」や「やめていく」ということをやっていきたいとおもいます。「立たない」「歌わない」「ありがたがらない」「祝わない」「しゃべらない」でも「黙らない」「なかよくしない」「つがわない」「日の丸は掲げない」むしろ燃やす。

 

今日のこのような場をつくりあげることができるひとたち、日頃から全国各地で反天皇制、反差別の運動に取り組んでいるひとたちはほんとすごいとおもいます。そこから学ぶことはたくさんあります。尊敬しつつ、勝手にひけめみたいなものも感じてしまうこともあります。いま ここで こうして喋っている自分自身に気持ち悪さを感じたりもしています。でも 自信がなくても悪くない。特別になにかをやれなくても悪くない。

憤りと絶望と呪いをもって ここに連なり、天皇をひきずひおろすべく、NOをしめしていきたいとおもいます。

 

天皇制は即廃絶!いそぎます。

 


2019.10.22 新橋

 

 

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